1950年代には製吊橋に続きコンクリート橋梁の実績を積み、「橋梁の川田」としての歩みを進めていた川田。その最前線で架設施工を担う「川田の特設隊」と呼ばれた部門が独立し誕生したのが、川田建設だ。
この章では今日もさらに新たな技術に挑み続けている川田建設の歩みに迫る。
川田工業、富山県発注の初めての鋼製吊橋「大渡橋」受注、「橋梁の川田」の幕開け
川田工業として初のPC(プレストレスト・コンクリート)橋「堀切橋」受注
川田工業、PC橋の将来を見通し、PC事業部を発足
工事部独立
1971
元々、川⽥⼯業新⼊社員の教育の場であった「現場の最前線」で架設施⼯を担当する「⼯事部⾨」が独⽴し、架設専⾨会社「玖洋建設」を設⽴。
こぼれ話
⼀歩間違えば命の危険もある橋梁架設現場で働く社員を鍛えるべく、 当時、宇都宮の陸上⾃衛隊において訓練教育を受けたこともあるんだとか。
1973
オイルショックでの波乱
不況で国内⼯事激減というピンチの中
海外⼯事に活路を⾒いだす
国内が⼤不況の中、波乱のスタートを切った川⽥建設は、活路を⾒いだすべくカタール・イラク・クエート等、中近東の⼯事に取り組む。慣れない⼟地、厳しい環境下での架設経験が川⽥建設の底⼒を鍛えた。
PC橋事業譲渡
1979
当時すでに橋梁の⼀⼤企業となっていた川⽥⼯業から同事業の営業権・⼈員と共に技術・経験が川⽥建設に加わり、川⽥建設にはPC橋の元請け案件が増加。
新技術・新⼯法を積極的に取り⼊れ着実に実績を伸ばし、PC橋業界のトップグループ企業としての歩みを開始した。
※プレストレスト・コンクリート橋︓コンクリートにあらかじめ圧縮応⼒(プレストレス)を加えたコンクリート橋。従来のコンクリートよりも強度・耐久性に優れている。PC橋、PC橋梁とも。
1980〜
鋼橋架設の強みを活かし、国内の鋼橋架設や吊橋のケーブル架設などにおいて、国内で数々の施⼯実績を積んでいく。
1990〜
栃木県大田原市に自社工場である那須工場を建設し、主力であるPC橋の部材の自社製作に加え、新たに建築分野にも進出。ハーフプレキャスト工法や地下貯水槽「エコマモール」の開発が行われた。
2000〜
これまで培ってきた技術を基に数々のビッグプロジェクトに参画、国内最大級の実績を次々と残していくことに。
2001
大分県杵築市に九州工場が建設され、
東西2工場体制となった。
2010〜
日本初のスペーストラス橋の永田橋。世界初の鋼・コンクリート複合エクストラドーズド橋の不動大橋。二つの「初」を飾ることとなった。
2020〜
川田建設ならではの技術力で
PC橋はもちろん
プレビーム橋・梁や鋼・
コンクリート複合構造橋も手掛け、
常に新工法の採用、既存工法の改良・
創意工夫に取り組んできた。
さらには既設橋梁の長寿命化を図る「更新」
となる床版取替工事においても
独自工法である「合理化継手」を開発し、
時代に先んじている。